ブログパーツ

bangreen.jpg (7654 バイト)

JICA「高校生エッセイコンテスト」を支援する全国際教

btao.jpg (1947 バイト)エッセイコンテストの歴史

btaka.jpg (1890 バイト)国際協力への流れの変化

btki.jpg (1603 バイト)国際協力事業団で実施したエッセイコンテストテーマ

btkimido.jpg (1915 バイト)開発教育の促進や検証の手段としての利用

btao.jpg (1947 バイト)「高校生エッセイコンテスト」入賞者が語る国際ボランティア活動への想い 

btaka.jpg (1890 バイト)私を生かす国際協力」

btki.jpg (1603 バイト)海外体験発表

btkimido.jpg (1915 バイト)中学生、高校生エッセイコンテスト 優秀作品集(JICAホームページへリンク)

btki.jpg (1603 バイト)国際協力
大学生論文コンテスト実施要領
(JICAホームページへリンク)

btkimido.jpg (1915 バイト)97年エッセイコンテスト資料

●高校教師海外研修

●中学教師海外研修

●高校生エッセイコンテスト

●中学生エッセイコンテスト

●大学生論文コンテスト

●研修日程

btkimido.jpg (1915 バイト)97年応募上位校リスト

btki.jpg (1603 バイト)特別学校賞

エッセイコンテストの歴史

移住促進としてのエッセイコンテスト

高校生エッセイコンテストに対する全国際教の支援の歴史は長い、「エッセイコンテスト」と改称されたのは1990(平成2)年で、つい最近であるが、最初は「高校生懸賞作文」として1962(昭和37)年中学の部「私の南米観」高校の部「我が国の海外移住はどうあるべきか」という、今ではなじみの薄くなった海外移住をテーマに行われた。当時、全国際教は「全国高等学校海外教育研究協議会」として、戦後の移住の再開と共に農業青年の移住が盛んになり、その対象となる青少年に対し、海外移住の正しい理解と発展を促すための教育の必要性から、農業高校生の卒業後の移住に方向性を向けたものであった。

 

国際協力への流れの変化

しかし、その後日本の経済は飛躍的な発展を遂げ、国際社会における日本の地位が向上し、国際人としての日本人の涵養が論議されるようになり、全国の研究集会においても、しばしば、国際理解、国際協力に関する学校教育のあり方とその方法が検討され、より実践的な国際活動を基盤とした「国際社会で活躍できる人材育成のための教育活動」に流れが拡大していくのである。

この流れは、JICAが「海外移住事業団」から「海外技術協力事業団」を経て1974(昭和49)年「国際協力事業団」に変わって行く流れと呼応したものである。

いよいよ、1983(昭和58)年テーマは移住から「国際協力−21世紀の友づくり」に大きく変化を遂げる。この年以降、1985年「地球社会にいきる」1986年「途上国とのふれあい」などの国際協力に関連したテーマが続き、その方向性のまま現在の「途上国や国際協力について考えていること」にまでに至るのである。

国際協力事業団で実施したエッセイコンテスト

(懸賞作文)のテーマ

年度

テ     ー     マ

中  学  の  部

高  校  の  部

1962

S37

私(僕)の南米観

わが国の海外移住はどうあるべきか

1963

38

海外移住と私(僕)の夢

海外に目を向けよう

1964

39

海外で活躍する日本人

民族の発展と海外移住

1965

40

世界の中に生きる日本人

国際協力と海外移住

1966

41

海外へ伸びよう

フロンティアにいどもう

1967

42

私の地球儀

世界の中の日本人

1968

43

移 住 100年 を 迎 え て

1969

44

海外で活躍する日本人

私の将来と海外移住

1970

45

世界に伸びる私の夢

若人の海外発展への道

1971

46

私の知っているブラジル

国際社会に生きる若人

1972

47

私が住んでみたい国

国際化時代と日本人の役割

1973

48

私の考える海外移住

日本の将来と海外移住

1974

49

世界にのびるこれからの日本人

海外へ行ったらこんなことをしたい

海外に求める私の生きがい

世界資源と日本の将来

1975

50

移住者の果す国際親善

これからの日本人と国際感覚

1976

51

海外での私の夢

海外に生きる若者

1977

52

私が外国で生活するなら

私が考える南米

1978

53

ブラジル移住70年に思う

1979

54

私が海外に移住したら

国際化時代とこれからの海外移住

1980

55

海外に生きる私の夢

これからの海外移住に思う

1981

56

私が外国でしてみたい仕事

国際化時代に描く私の夢

日本人の海外発展と国際協力

世界の中の日本

1982

57

なぜ国際協力もし私が途上国に生まれていたら

海外移住に可能性を求めて

1983

58

国際協力−21世紀の友づくり

自由題(@技術協力A青年海外協力隊B移住

1984

59

私の中の途上国

1985

60

地球社会に生きる

1986

61

途上国とのふれあい

1987

62

開発途上国とのふれあい

1988

63

21世紀を生きるー途上国とのふれあいの中で

1989

H1

21世紀を生きるー途上国とのふれあいの中で

1990

2

えがお・で・あい

1991

3

(自由)

1992

4

心の地球儀回ってますか?

1993

5

自由(開発途上国について)

1994

6

自由(開発途上国について)

地球環境を守るため日本は何をすべきだと思いますか

1995

7

自由(開発途上国について)

1996

8

自由開発途上国や国際協力について

1997

9

途上国や国際協力について考えている事

 

開発教育の促進や検証の手段としての利用

全国際教としては、この事業に対して後援をし、各地区で予選審査員に協力し、最終審査員には矢田部会長が参加しているのは勿論であるが、各支部で総力をあげて取り組んでいる行事でもある。これは、全国際教の加盟学校の教師たちの国際理解教育及び開発教育の実践が本当に高校生達に伝わっているのかどうかが検証できる行事といえるからである。教師が国際理解教育、開発教育にたずさわり、地域で様々な取り組みを行った、その反応、フィードバックがこのエッセイに生きてくるのである。いま高校生達が、何を感じ、何をし、どのように生きようと考えているのか、その一端を見ることができるからである。これは一つには変化する時代の感覚が読みとれ、もう一つは、その内容の深さが、そのまま私達の教育の評価でもあると考えられるのである。

今後の支援の方向性

今後の課題は、内容的にはエッセイがエッセイに終わる事がないように、高校生が自分の体験に基づいたエッセイを書くことで、自分自身のアイデンティテイに気づき、それが自分や人を動かす力になるような方向性に導けたらすばらしい事だろう。

もう一つは量と質の問題であろう。年々応募者が拡大傾向にあるのは、国際協力という分野が認知されてきたことと、学校現場において、私達研究会の活動が広がってきた結果であると考えている。しかし、量を追求するあまり学校全体で課題として応募というような例もある。その中に良いものも含まれているのでそれが悪い分けではないが、やはり自発的な応募が広がる流れをつくっていく事が重要であろう。いずれにしても審査にたずさわる全国際教としては、毎年変化してくる生徒達のエッセイを読むのを楽しみにしているのである。

以下にこのエッセイコンテスト入賞者が実際にボランティア活動に関わって行った発表を紹介します。

 「高校生エッセイコンテスト」入賞者が語る国際ボランティア活動への想い 

   −ボランティア活動にかかわることで変わった私の生き方−

                                         平田和枝

(プロフィール)

 宮崎県立宮崎大宮高校・文科情報科卒。

現在、慶応議塾大学・法学部・政治学科に在籍。

中学三年の時に県の親善使節としてシンガポールを訪れ、以来、アジア諸国に、興味を持つ。高校時代は、ユネスコ部の部長として、国際協力、国際交流活動などを行っていた。大学では、もっと専門的な知識を積みたいと思い、国際政治を学ぶべく政治学科に、進学。国際協力のNGO団体「ピースボート」のボランティアスタッフとして活動中。

JICA「高校生エッセイコンテスト」の作品を紹介しましょう。

 高校生エッセイコンテスト入賞作品   

「私を生かす国際協力」

宮崎県立宮崎大宮高等学校 三年 平田 和枝

昨年一月のある夜、ふとつけたラジオが聞き慣れぬ言葉を発していた。「アジアの言葉だ」反射的にそう感じた私は、とうに電灯を消してしまった部屋のなかで、じっと耳をそばだてた。不思議な言葉が深夜の静寂を破る。そのうち、「コウベ」「ハンシン」と言う言葉が聞こえてきた。

 阪神大震災での外国人被災者向けの情報を流していたのである。そうか、悲しい思いをしたのは、日本人だけではなかったんだ、そう気付いてハッとしたと同時に、国籍を問わず助け合おうとする人間の心の温かさに触れた気がして、私も優しい気持ちに包まれた。

 そうしてその瞬間暗闇の中に、アジアの黄金色の大地を私は見たのである。未曾有の大惨事をもたらした阪神大震災は、一方、無関心、無感動と言われた若者達をボランティアに目覚めさせたきっかけでもあった。将来、アジアなどの途上国で働きたいと考えているわたしにとって、それはうれしい現象だったはずである。しかし、私の中には一抹の不安があった。皆が、「誰かを助ける」「助けてあげる」と妙に躍起になっている気がしたのである。いや、自分自身そんな考えを心の奥に潜めているような気さえした。本当の国際協力、ボランティアの在り方とは、一体どのようなものだろうか。

 そんなある日、会場ボランティアとして参加したベトナムの写真展で、私は写真と共にはってある数枚の絵にふと気づいた。不思議に思って眺めていると、写真展の担当をしていたオーストラリアの女性・ダイアンが近づいてきて笑うのである。「ベトナム を自転車で横断した時描いたの。何日かホリデイがあったから。これは私。髪を洗っているところよ。途中に湖があってね、ボランティアのみんなと泳いだの。楽しかったなぁ。」私はその時、ダイアンのあっけらかんとした顔に驚いてしまった。その写真展は、貧困に苦しむベトナムの現状を訴えるものだった。しかし、彼女には私の想い描いていたような非槍な使命感など、御塵も感じられない。むしろ、楽しんで、自分を最大限に生かしてボランティアをしていたのである。そんな彼女の姿は、どんなに生き生きと希望に満ちて、私の目に映ったことだろうか。国際協力とは、「自分」という人間の個性を生かしてどんなことができるか、つまり、自分流に活動できるかだと、ダイアンは教えてくれたのである。自分流の、じぶんが『生きる』ボランティアーそう考えた時、私の場合は、バスケット部で鍛えた大きな声と、文章を書くのが好きなこと、これが武器であり、個性である。

 早速先日、この武器を生かして、私の住む町の視覚障害者の方々に、私が、戦後50年を迎えるに当たって弁論したもののカセットテープを聞いてもらった。私のような若い世代のものが、少しでも戦争を知り、平和の思いを述べたことは、特に年配の方々にとっては感慨深いものがあったのだろう、皆涙を流して喜んでくださったのである。私もまた、自分の大好きな分野で誰かの喜びとなったことが、この上もない自信となり、自分の将来の夢へのやる気が増したのであった。

 現在の私は、私の個性を磨く為に、国際交流センターに通って途上国に関する本を読んだり、論文を書いたり、忙しい毎日を送っている。以前から交流のある、韓国やシンガポールの友人達とも、手紙を通じて意見交換している。彼らから私は、日本軍による侵略戦争や虐殺のことを教えられた。あの冬のラジオの声を、わけもなく「アジアの言葉」だと信じ、耳を傾け、そしてアジアの大地をみたのは、彼らに対して私がどこかで、すまない気持ちを持ったからであろうか。それは私にも、よくわからない。

海外体験発表

    平田和枝さん                                                                                       

 去年、JICA主催の高校生エッセイコンテストに応募し、準特選をいただきインドネシアに派遣させていただきました。今日は、そのボランティアのことや、インドネシアで学んできたことについて自分の思った通りにしゃべってみたいと思います。

 私は、エッセイコンテストに応募する以前に、国際協力とか国際交流といったものにすごく興味がありました。そのきっかけみたいなものは、まず、小さいときから英会話を少しずつやっていたので、海外というものに何となく憧れみたいなものがありました。それから、宮崎とシンガポールが親善使節団を交換していて、中学3年の夏にその一員としてシンガポールに行きました。初めての外国がシンガポールというアジアで暑い国に行ったことで、その時からアジア地域の国々に興味を持ち始めました。それ以外は、普通の子供で、しいていえばいろんなことに興味があって何にでも野次馬根性があって、いろいろなことに首を突っ込んで騒いで、知りたがってという感じでした。

 私が高校一年の時に、宮崎に国際交流センターというものができました。何かおもしろい本がたくさんあるという話を友達から聞いて、その友達と「じゃあ行ってみようか」と言って、学校帰りに通ったりしていろんな海外の国々の情報を取り入れられて「おもしろいね」「行きたいね」という風に過ごしていました。

 エッセイコンテストも自分がアジア諸国に興味があって出したところ、入選して、インドネシアに派遣されることになったので本当に嬉しかったです。アジア諸国をくまなくまわってみたいという夢があったので、嬉しくてどん欲にものを見て聞いて自分で考えて、また、帰ってきたらそれをもとにしていろんな活動をやってみようって思って、インドネシアに行きました。

 インドネシアに行く前にエッセイコンテストの授賞式が新宿のJICAでありました。その時に受賞者が自分たちのエッセイを発表しあうという企画がありました。その時、みんなすごく熱くなったんですね。自分たちの発表をしあって、その人の考えについて自分の考えを述べ合うという内容でした。その中で、「自分はみんなが思っているほど真剣には考えていなかった。」とか言って泣き出す友達もいて、私もそれを見て「私もそこまでは考えていなかったかもしれない」って思いました。事実その日の朝、私は食事を何の感動もなく残したし、ものや紙とかも何も考えなく捨てていました。こんな風にどんどん考えていくと、ああ自分ももしかしたらこういう風にエッセイコンテストで書いてはいるけど、実際にはそんなに考えてはいないんじゃないかという風に気付いて、私もその時はすごく反省しました。それからは、本当にみんな食事をするにもすごく気をつかって、残さないように残さないようにって、すごく少食になっていって、ちょっとしたことに気をつかうようになって、「これムダ使いかも」とか「これ残しちゃいけないかも」という風になっていきました。だから、エッセイコンテストでインドネシアに行ったのもすごくいい経験だったんです。けれども、JICAの本部でみんなと交わした意見とかそういう体験の方も私はすごく大事だったように思えます。

 インドネシアで一番強く感じたことは、何といってもやっぱり心の余裕というか豊かさということでした。豊かさというと、今、いろんな所で心の豊かさを取り戻そうと言われています。月並みな言葉だけれど、私もそう思うます。どうしてかというと、インドネシアは、急速に経済発展していて街にはきれいな建物がたくさん建ってましたし、近代的なビルが林立して、その中心部は東京まではいかないかもしれないけれども、大阪(行ったことないんですけれど)とか、日本の都会という部分と変わらないぐらい発展していました。行き交う人々の装いとかもきれいで、途上国とは思えないくらいきれいな着物を着ていました。日本の大きいデパートもたくさんあって本当にきれいだったんですけれども、少し街を離れると平屋建てが広がっていてのんびりと人々は歩いていました。インドネシアはイスラム教の国ですので、イスラム教を中心として生活が動いているという感じでした。朝5時とか、夕方の決まった時間になると地区ごとのスピーカーからコーランが流れてきました。せかせか歩いている人とかもあまりいなかったし、気候が暑いというせいもあるかもしれないけど、のんびりとしてて本当にうらやましいなあという感じがしました。私は、宮崎出身ですけれども、こっちに来て一番驚いたことは、みんな歩くのが速いことでした。私は、駅とかで歩いているとぬかされることはあるんですけど、人をぬかしたことはないんです。それぐらい歩くのが遅い、遅いというかそれ普通だったんですけど、やっぱりこっちの人は歩くのがすごく速くて、ものを言うのも速くて、ファーストフードで聞き取れないことがあって、お店の人に3回くらい聞き直すことがよくあります。お店の人は、私のことを中国人かなという風に見てるみたいでした。それくらいに本当に速いですよね。こっちの人は何でもかんでもスピードが、情報とかもいろんな情報が次から次に流れてきて、どれが本当の情報だかわかんないというくらい何でもスピードが速いですね。私は、速いということだけが、さらに発展することだけがいいことじゃないと思います。インドネシアに行ったときも、そういうことを思いました。何でもかんでも発展して何もかもが近代的になることだけがいいことじゃないんだなということを本当に思いました。実際も現地の人々の顔は明るくて生き生きとしていていいなあという感じがしました。ホームステイがインドネシアの滞在期間中に2泊3日くらいありました。私が一番思っていたのは、この国の普通の庶民の人たちの生活をしてみたいなということでした。そこで、ホームステイで手でご飯を食べたりとか、家の回りを自転車を借りてウロウロしたりとか、その地元の人たちが普段やっているようなことをさせてもらいました。夜は、回りが畑ばっかりだったので、カエルとか虫とかの声がすごく聞こえる他はとても静かで、たまにギターを弾きながら通る人とかいて本当にのどかな感じでした。インドネシアの生活で私が思ったのは、日々の生活の中心に何か仕事とか学校とかではない、もっと他のものを大切にしてして生活を向こうの人は送っているような気がしました。日本では、受験地獄という言葉もあるくらい成績至上主義、学歴至上主義というところがあってぎすぎすした社会になっていると思うんですけども、インドネシアは宗教とかが生活の中に深く入り込んでいるせいもあってまだゆったりとした感じ、さっきもいいましたけど人々の表情にもまだまだゆとりがあるという感じが見られました。何をやるにもマイペースの人が何かしているからといってそれに合わせたりということはなくゆったりゆったりという感じがしていました。それがもう私はすごくうらやましくて、また、私たちが失いかけているような大切なものじゃないかなと強く思っていました。

 私たちがインドネシアに滞在したのは8日間でしたが、私たち女の子4人で一つの部屋に夜集まって話し合ったことが何回かありました。話し合った内容は、JICAって何だろうっていう話だったんですね。どうしてそういうことがあがってきたかというと、私たちはインドネシアでダムを建設する所とか、青年海外協力隊の人々が働いている所とかを訪問しましたが、そういう人たちが働いているところというのは、その国の上部層の人たちのためにはなるけれども下層部の人たちのためにはならないんじゃないかなって、そういうことを話していました。何でかというとすごく街並みとかはきれいで発展してという感じはありましたが、街を少し離れるとスラム街が一面に広がっていて、ちっちゃいドブみたいなところで洗濯をしている人がいて、そういうギャップがすごく大きかった。そんな先細り的な発展っていいのかな、そういう先細り的な発展を手伝っている日本でいいのかなって4人で話し合いました。そうしたらある一人の女の子が、私たち日本の国はそういう技術とか情報とかをどんどん提供していっていいんだ。でも、それをその国の風土とか人々の気質とか、生活習慣、宗教とかに合わせて発展させていくのはその国の政府だといいました。確かに今やっていることは、上の人たちの発展にしかなっていないかもしれないけれど、その上の人たちが今度は自分たちの国の下の人たちをどんどん生活向上させるために働くそういうときがくると思うし、また、そうやっているところかもしれない。そういう風に話し合いました。JICAで見せてもらったビデオにも南々協力という言葉が出てきましたが、それは日本が今までアジア諸国に技術とか伝授してきたけれども、今度はアジア諸国の中でアジア諸国の国同士で助け合う、そして、それを日本が見守っていくという協力の仕方が今あるみたいですね。だから、それを今やるときかなって私は思いました。

 インドネシアでもう一つ感動したことは、緑の豊かさでした。街路樹にしても何にしてもものすごく濃い緑をした葉っぱがわさわさとついていて、貧相な木は一本もなかったし、のびのびと葉をつけているという感じがしました。まあ、それは南の国だからそういう木が多かったということもあるかもしれないけれども私はすごく感動しました。特に仏教遺跡のボロブドゥールに行ったとき、それもすばらしかったですけれども、そのまわり一帯に原生林が広がっていて、その時は空も曇っていて、霧が少し出ている感じで、森が呼吸しているような感じがして生命が宿っているという感じの森の風景でハッとするような緑色をしていました。でもやっぱりその緑も森林伐採とかで着実に減っている話を聞いてちょっと悲しい思いでいました。

 今私は、法学部の政治学科に在籍しています。始めは国際政治について学んでみようと思い政治学科を選んだ訳ですけれども、大学に入っていろんなことを学んでいろんな友達の話を聞いている中で、もっと他にやりたいことがいろいろ出てきました。まだ、今は夢とかは決まっていないんです。政治学科にきた以上は、そういう政治的な専門的な知識をたくさん仕入れて国際政治も学びたいし、また法体系の整っていない国とか、独立したばかりで法律が整っていない国とかに行って、法律を作る仕事もやってみたいとも考えています。

 NGOをやっていると紹介の中にもありましたが、ピースボートに協力しています。ピースボートは、船で世界中をまわって寄港地で現地の人々と国際交流とか、船に救援物資を積んでいって渡す活動をしています。私はその船には乗らなかったんですけど、準備活動を手伝いました。救援物資を集めて、それを仕分けしたりとか、ピースボートの中の広報誌を作る仕事をしていました。

 実は、あさってから一週間、日韓学生交流事業に参加して韓国に行くことになっています。なぜ韓国に行くかというと、一番知りたいのは戦争の事実。向こうの若者はどういうことを考えているかを知りたいし、いろんな戦争の遺跡を見て回りたいし、人から聞ける機会はこっちでもたくさんあるけど、やっぱり自分の目で見たいと思ってこの事業に参加することになりました。今の私にできることは物事を実際に自分で見て聞いてから、そして考えること。決して傍観者では終わらないということ。自分で確かめるということ。本を読んだり、人の話を聞くことももちろん大切だと思いますけど、実際に見たり感じたりしたことの説得力には負けると思います。だから私は、今いろんな所へ行って、見て考えたいと思っています。

 今回は高校生を対象にした国際協力とか国際交流を考える会ということでしたが、私は高校生に一番に言いたいことは、やっぱり自分で見て聞いて下さい。そして、国際交流だからって外国人としゃべったりとかだけに関心を持つのではなくて、いろんなことに興味を持って野次馬根性でいろんな所に首をつっこんで、しゃべったり聞いたりしてほしいと思います。これで私の話は終わります。ありがとうございました。

 

<質疑応答>

Q:芝商業高校、斎藤です。

  ボランティアをする時に、常に心がけていることはありますか?                                         A:いつも思っている程のものではありませんが、自分が楽しくできるように絶   

  対に犠牲者的な精神は持たないように、これやんなきゃいけないとは思わない   

  ようにやっています。というのは、高校の時に阪神大震災がありましたよね。      

  あの時にすごく学生ボランティアが増えましたよね。その時、私の友人が部

  活動をやめてまでもボランティアをやらなくちゃいけないんじゃないかって

  悩んでいたんですね。私はそういう風には思わない。自分がやれる時にやれ

  ばいいんじゃないかって、私は言いました。だから犠牲者的な精神ではなく

  て自分が楽しい、自分ができるときにやればいいと思います。      

Q:玉川聖学院、手嶋です。

  今までやってきたボランティアの中で一番つらかったことは何ですか?

A:自分がやめたいと思ったことはないんですけど、募金活動をしたときに風船

  と募金箱を持ってて、募金してくれた人に風船をあげたんですけど、風船ほ

  しさに募金する人がいて、それを見てみんなで悲しい思いをしたことはあり

  ました。物を買ってる感覚でみんなでやってるみたいだったから、それで悲

  しい思いをしたことはあったけど、活動自体が苦しかったということはなか

  ったです。

97年エッセイコンテスト資料

 1997年12月                                国際協力事業団
                                        総務部長 小川郷太郎

 私ども国際協力事業団(JICA)では、全国の高校生の皆様を対象に、開発途上国の置かれた現状や地球規模の問題、そして国際協力の必要性について関心を持っていただくためにエッセイコンテストを実施しています。今年で三十六回目を迎えますが、今回は昨年を約二千六百作品も上回る、一万四千八百二十作品もの応募を得ることができました。このように多くの高校生の皆様からこのコンテストにご応募いただいたことは、私どもにとって非常に嬉しく、かつ心強いことであり、国際協力への関心が若い人たちの中に確実に高まりつつあるのを感じています。
 応募された作品は、ボランティア活動を通して学んだこと、日本国内や海外で外国の人と接した経験、また、学校の先生やご家族の話を聞いて感じたことなど様々なきっかけを題材にしていますが、多くの高校生が相手の人々の生活や文化を尊重すること、そして、相手の気持ちを思いやることの重要性について触れられています。これは、私たちが取り組んでいる国際協力にも共通する大切な視点であり、地球市民として欠くことのできない考え方です。
 私どもJICAでは、日本の国際協力の一環として、「人づくり、国づくり、心のふれあい」を合言葉に、開発途上国に日本の専門家や青年海外協力隊員を派遣したり、途上国の人たちを日本に研修員として受け入れる等、人と人との触れ合いを通した国際協力を実施しています。途上国から寄せられる期待に応え、全ての人々が幸せに生活できる地球を築くためには、より多くの皆様のご理解とご協力が必要とされています。今回応募された高校生の皆様が、原稿用紙いっぱいに表現された相手を思いやる気持ちや理想を忘れずに、将来も何らかの形で国際協力や国際交流の活動に取り組まれることを期待しています。
 この度、ご応募いただいた作品の一部ではありますが、高校生の皆様が心を込めて書かれた作品を取りまとめましたので、関係各位のご高覧に供したいと思います。
 最後になりましたが、このコンテストの趣旨にご賛同いただき、後援・協賛を賜りました各団体、そして審査員の皆様、また募集にご協力くださいました関係各位に厚く御礼申し上げます。



●高校教師海外研修
授業もしくはクラブ活動で開発教育を実践している高校の先生に、途上国の現実とJICA事業の現場を視察してもらおうというもの。往復の渡航費、東京までの交通費などはJICAが負担し、その他の宿泊費、食事代などは個人負担となります。募集人員は30名、研修国は3か国で各10名ずつ。募集は1月〜4月半ばで、申込用紙に必要事項を記入して応募すると、選考結果が通知されます。

●高校生エッセイコンテスト
開発途上国や国際協力について考えていることを、400字詰原稿用紙4枚以内にまとめて応募してください。募集期間は1月〜5月半ばで資格は高校生であること。特選は国際協力事業団総裁賞2名、外務大臣奨励賞1名、文部大臣奨励賞1名の計4名で、副賞は約10日間の海外研修旅行。準特選は約1週間の海外研修旅行。ほかにも審査員特別賞6名など。

●中学教師海外研修
高校教師海外研修と同様の趣旨で実施しています。所定の申込用紙に記入して応募してください。募集期間は新聞などを通じて案内します。

●中学生エッセイコンテスト
高校生エッセイコンテストと同様のテーマで、400字詰原稿用紙3枚以内に考えていることをまとめて応募してください。特選の国際協力事業団総裁賞2名、外務大臣奨励賞1名、文部大臣奨励賞1名の計4名には副賞として海外研修旅行。ほかにも準特選、入選、佳作など多数の賞が用意されています。募集期間は新聞などを通じて案内します。

●大学生論文コンテスト
平成9年度から募集を開始します。開発途上国の抱える課題と国際協力について400字詰め原稿用紙30枚以内にまとめて応募してください。募集部門は社会科学部門と自然科学部門の2部門。詳しい内容については総務部広報課までお問い合わせください。特選、準特選に選ばれた方は副賞として海外研修旅行があります。

 

●研修日程

特選入賞者研修旅行日程〈モロッコ〉

準特選入賞者研修旅行日程〈フィリピン〉

審査員特別賞入賞者研修旅行日程〈沖縄〉

高校生エッセイコンテスト'97国内研修

表彰式・国内研修参加者(本部にて)

8/20◆入賞者表彰式(本部11階国際会議場)

      参加者自己紹介 東京国際研修センター(TIC)施設見学 研修員との懇親会      2)8/21◆開発途上国ってどんな国? JICAって何してるの?

      エッセイ紹介 開発教育ワークショップ まとめ

モロッコ研修訪問場所

8/22◆成田→フランクフルト→

8/23◆フランクフルト→カサブランカ ラバトへ移動 午後/オリエンテーション

8/24◆午前・午後/ラバト市内視察 協力隊員と昼食懇親会

8/25◆午前/JICA事務所訪問 大使館表敬 ボリビリスへ移動 午後/ボリビリス遺跡視察        フェズへ移動

8/26◆午前/フェズ市内視察 午後/淡水魚養殖場視察(アズロー) ラバトへ移動

8/27◆午前/鉱山探査投資公社 保健省人口局視察 カサブランカへ移動

      午後/ハッサン2世モスケ 高等海事学院プロジェクト視察

8/28◆カサブランカ→フランクフルト→

8/29◆フランクフルト→

8/30◆成田

フィリピン研修訪問場所

8/22◆成田→香港→マニラ

8/23◆午前/マラカニアン宮殿視察 午後/イントラムロス等視察 ホームスティ

8/24◆午前/ホームスティ 午後/フィリピン文化村内自由行動

8/25◆午前/JICA事務所 フィリピン科学高校訪問 午後/フィリピン大学(理数科教師訓練        センタープロジェクト)視察 事務所との夕食懇親会

8/26◆午前/JICA事務所訪問 マハリカビレッジ中層集合住宅・スラムエリア視察 午後/ド        ムスマリー中層集合住宅 スモーキーマウンテン仮設住宅・埋立地・中層集合住宅建設        現場 国家住宅庁(NHA)視察

8/27◆午前/協力隊活動視察(保健婦)午後/モンテンルパ市庁舎 刑務所 協力隊活動現場       (柔道)視察

8/28◆マニラ→香港→成田

 

沖縄研修場所 

8/22◆羽田→沖縄

      午前/琉球ガラス村視察 午後/ひめゆりの塔 グラスボート 沖縄国際センター施設       見学 研修員との懇親会

8/23◆午前/普天間米軍基地 琉球村 午後/万座ビーチ

8/24◆沖縄→羽田、小松、鹿児島

97年応募上位校リスト

応募数上位校40作品以上

順位

学校名

応募数

順位

学校名

応募数

1

金沢高等学校(石川)

662

37

静岡県立吉原高等学校

121

2

愛媛県立丹原高等学校

612

38

和歌山県立那賀高等学校

112

3

星野女子高等学校(埼玉)

601

39

福井県立武生東高等学校

108

4

宮城県仙台東高等学校

561

40

佐賀県立唐津南高等学校

108

5

福島県立東白川農商高等学校

515

41

栃木県立石橋高等学校

105

6

岐阜県立大垣東高等学校

482

42

岐阜県立土岐北高等学校

103

7

奈良県立高円高等学校

460

43

兵庫県立芦屋南高等学校

101

8

福岡県立田川高等学校

412

44

兵庫県立香寺高等学校

101

9

宮城県古川高等学校

394

45

聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎)

99

10

福岡県立香住丘高等学校

394

46

小林聖心女子学院高等学校(兵庫)

94

11

兵庫県立北摂三田高等学校

389

47

吉祥女子高等学校(東京)

90

12

岩手県立盛岡農業高等学校

368

48

宮崎県立宮崎大宮高等学校

86

13

兵庫県立加古川南高等学校

356

49

栃木県立栃木南高等学校

83

14

石川県立金沢西高等学校

350

50

就実高等学校(岡山)

80

15

岩手県立一関農業高等学校

346

51

北海道滝川高等学校

76

16

長崎市立長崎商業高等学校

310

52

高岡第一高等学校(富山)

74

17

栃木県立足利南高等学校

299

53

大阪府立農芸高等学校

74

18

山梨県立甲府東高等学校

268

54

沖縄県立那覇西高等学校

74

19

東京都立江戸川高等学校

262

55

福島県立石川高等学校

72

20

佐賀県立高志館高等学校

262

56

東京都立竹早高等学校

69

21

岐阜県立恵那高等学校

232

57

静岡県立横須賀高等学校

68

22

佐賀県立佐賀農業高等学校

229

58

福島県立二本松工業高等学校

65

23

九州女学院高等学校(熊本)

209

59

長野県上伊那農業高等学校

65

24

大分県立竹田高等学校

198

60

福井県立美方高等学校

65

25

佐賀県立伊万里高等学校

183

61

大阪府立長尾高等学校

61

26

兵庫県立宝塚東高等学校

171

62

今治明徳高等学校矢田分校(愛媛)

61

27

兵庫県立尼崎稲園高等学校

160

63

富山県立高岡南高等学校

60

28

神奈川県立横浜平沼高等学校

154

64

中延学園高等学校(東京)

56

29

広島県立安芸府中高等学校

149

65

栃木県立真岡女子高等学校

55

30

岩手県立岩谷堂農林高等学校

147

66

米沢女子高等学校(山形)

53

31

宮崎県立富島高等学校

142

67

愛知県立半田農業高等学校

50

32

岩手県立水沢農業高等学校

138

68

福島県立白河高等学校

48

33

東明館高等学校(佐賀)

137

69

石川県立七尾農業高等学校

44

34

三重県立津高等学校

136

70

北海道旭川農業高等学校

43

35

長野県須坂園芸高等学校

132

71

静岡県立磐田西高校

40

36

国立金沢大学教育学部附属高等学校(石川)

122

特別学校賞

(過去五年間連続して毎年100点以上の応募、若しくはそれに準じる協力のあった学校に贈られる。)

 

 受 賞 校               

・東北支部・

 ・宮城県仙台東高等学校

 ・岩手県立盛岡農業高等学校

 ・岩手県立一関農業高等学校

 ・岩手県立水沢農業高等学校

・二本松青年海外協力隊訓練所・

 ・福島県立東白川農商高等学校

・関東支部・

 ・静岡県立吉原高等学校

・東海支部・

 ・三重県立津高等学校

 ・岐阜県立土岐北高等学校

・大阪国際センター・

 ・兵庫県立芦屋南高等学校

・中国国際センター・

 ・広島県立安芸府中高等学校

・四国支部・

 ・愛媛県立丹原高等学校

・九州国際センター・

 ・福岡県立香住丘高等学校

 ・長崎市立長崎商業高等学校

 ・佐賀県立佐賀農業高等学校

 ・大分県立竹田高等学校

 ・宮崎県立富島高等学校

 

 

 

 

 

bttop.jpg (1971 バイト)  btnext.jpg (2127 バイト)   btreturn.jpg (2245 バイト)  wpe1.jpg (1362 バイト)